サムエル記上
  • 10節
  • 第3章

主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。

2016.12.18
  • サムエル記上
  • 10節
  • 第3章

コケ

Comment from the head of the church

教会長のコメント

預言者サムエルは最初、神様の声を聞き、神様の話を聞くところから出発しました。真のお父様も絶えず神様の声を聞きながら一生を神様に捧げました。 私達は絶えず神様の声を聞いているでしょうか? それとも神様の声を聞かず無視して自分勝手に生きているでしょうか?神様の子供として神様の声を聞く習慣をつけようではありませんか。

ルカによる福音書
  • 20節
  • 21節
  • 第17章

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にただあなたがたのただ中にあるのだ」。

2016.12.06
  • ルカによる福音書
  • 20節
  • 21節
  • 第17章

夕日

Comment from the head of the church

教会長のコメント

国はどこから始まるのでしょうか?イエス様も真のお父様も私の心にあると言われています。私の心の中に矛盾や葛藤がある限り私の心は天国になりません。環境に天国を求めることよりも私の心から矛盾や葛藤を取り除き神様をお迎えして心に天国を作る努力をし続けようではありませんか?

ヘブル人への手紙
  • 第11章
  • 4節

信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。

2016.12.04
  • ヘブル人への手紙
  • 第11章
  • 4節

トウカエデ

Comment from the head of the church

教会長のコメント

私達はアベルと同じ立場に立っています。ではアベルと同じように言動、行動、生活を通して神様によしと認められているでしょうか?私達の供え物は、言動、行動、生活です。それらが神様に喜ばれるものとなっているでしょうか?自分の姿を振り返り、正して神様に喜ばれる息子、娘になろうではありませんか。