聖書とひとこと

Bible content

礼拝で紹介した聖書のみ言葉とポイントを投稿しています。

2017年7月16日

ポーチュラカ

エステル記 - 第四章 -(14)

あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起こるでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう。

エステルは王妃になりました。それはユダヤ人を救う為に神様がなさったことでした。モルデカイの助言でエステルは死を決意し王に会います。そしてユダヤ人は救われました。私達も今の立場は神様によって与えられました。今の立場で果たすべき責任があります。モルデカイの様に助言を与えられたらそれを神様の言葉と思い責任を果たそうではありませんか。私達が責任を果たすことで救われる人がいるかもしれません。

2017年7月2日

ヨブ記 - 第一章 -(12)

主はサタンに言われた、「見よ、彼のすべての所有物をあなたにまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。サタンは主の前から出て行った。

ヨブに次から次へと災難が襲います。それは先祖の罪故でした。サタンが神様に訴えたので仕方なく神様はサタンに災いを許可したためでした。私達にも様々な災いが臨みますが、それは先祖の罪、私の罪が原因です。私達は災いや事故を通して罪を悟り悔い改めれば初めて神様が手を差し伸べ祝福を下さるのです。神様がおられないのではなく、手を出せない神様であることに知って神様を信じ続けて行きましょう。

2017年6月19日

ヤマアジサイ

ローマ人への手紙 - 第一二章 -(1)

兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。

私達は一週間に一度、神様に礼拝を捧げています。当然、私達の体を神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物として捧げなければいけません。しかし、それ以上に私達の心が神様の前に捧げられているでしょうか?神様以外のものに向かっていないでしょうか?もう一度心を正し神様に心を捧げ、私達の心に神様をお迎えしようではありませんか。

2017年6月4日

ツバキ

ローマ人への手紙 - 第二章 -(29)

かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

私達は神様によって召命されました。選ばれました。召命されたこと、選ばれたこと、それはとても恵みです。しかし、そのことで自分を誇り、傲慢になっていないでしょうか?人に教えながら自分に教えていないのではないでしょうか?今一度自分を振り返るべきではないでしょうか。そして召命され、選ばれたに相応しい心を持った神様の子供になろうではありませんか。

2017年5月21日

ノコンギク

ヨナ書 - 第一章 -(12)

ヨナは彼らに言った、「わたしを取って海に投げ入れなさい。そうしたら海は、あなたがたのために静まるでしょう。わたしにはよくわかっています。この激しい暴風があなたの臨んだのは、わたしのせいです。」

預言者ヨナは神様からニネベに行くように命じられました。しかし船に乗って逃げた為に暴風に合います。一緒に船に乗った人々に災が臨みました。ヨナが責任を果たそうとせず逃げたからです。私達も日々の生活で責任を果たそうとせず逃げていれば小さなことかもしれませんが、周りが災に合います。自分の責任を明確にし果たす者になろうではありませんか。