聖書とひとこと

Bible content

礼拝で紹介した聖書のみ言葉とポイントを投稿しています。

2016年12月4日

トウカエデ

ヘブル人への手紙 - 第十一章 -(4)

信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。

私達はアベルと同じ立場に立っています。ではアベルと同じように言動、行動、生活を通して神様によしと認められているでしょうか?私達の供え物は、言動、行動、生活です。それらが神様に喜ばれるものとなっているでしょうか?自分の姿を振り返り、正して神様に喜ばれる息子、娘になろうではありませんか。

2016年11月20日

ツバキ

エレミヤ書 - 第一七章 -(7、8)

おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ。

私達は神様と無縁の人生を生きてきました。しかし真のお父様に出会い神様を頼みとする生き方を始めました。ではその生き方を続けているでしょうか?以前のように神様を意識せず、人ばかり気にして人を頼みとする生き方をしていないでしょうか?もう一度神様を頼みとして、水のほとりに植えた木のように絶えず実を結ぶ者になろうではありませんか。

2016年11月6日

夕暮れ

ルカによる福音書 - 第一七章 -(20、21)

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にただあなたがたのただ中にあるのだ」。

国はどこから始まるのでしょうか?イエス様も真のお父様も私の心にあると言われています。私の心の中に矛盾や葛藤がある限り私の心は天国になりません。環境に天国を求めることよりも私の心から矛盾や葛藤を取り除き神様をお迎えして心に天国を作る努力をし続けようではありませんか?

2016年10月16日

ヨハネの第一の手紙 - 第四章 -(19、20)

わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神をすることはできない。

私達は真のお父様を通して神様の子供となりました。そして神様を愛するようになりました。それはまず神様と真のお父様が私達を愛して下さったからです。私達は神様や真のお父様のように兄弟を心から愛しているでしょうか?自分の姿を振り返り今からでも兄弟を愛そうではありませんか?

2016年10月2日

ヤコブの手紙 - 第一章 -(22、23)

そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生まれつきの顔を鏡に映して見る人のようである。

イエス様もお父様もみ言を実践された上で私達にみ言を語られました。聞いた私達はみ言を実践しているでしょうか?実践しているかどうかは自分の言動、行動、そして生活を見れば一目瞭然です。自分の姿を直視し、聞くだけの者ではなくみ言を行う者になろうではありませんか?