礼拝で紹介したみ言葉を投稿しています。
2020.3.1
地上世界と霊界は、互いに見つめ合って動くのです。地上生活が上がれば霊界も上がり、地上世界が下がれば霊界が下がるのです。一つが回ればもう一方も回ります。それで現世において、それを実感して永世にプラスさせる生活をしなければなりません。永生と現世は別れないのです。天国と地獄を明らかにしなけば、それが分からないのです。永生と地上生活の重要性を感じながら、働きなさいというのです。それは、誰も面倒を見てくれる人がいません。誰よりも自分自身が、神様をよく知っているのです。
2020.2.16
宗教を信じる人たちが、信じない人と違うのは何でしょうか。彼らは一生の間、霊界を標準として信じます。宗教というものは、神様に会って生活しようとするところから始まるのです。 すべての教祖たちが残していった経典の内容は、人間の暮らしを紹介しませんでした。これは永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様なら神様がおられる所を中心として、私たちが関係を結ぶことのできる内容を教えてくれたのです。
(執筆中)
2020.2.2
皆さん、できるだけ一年以内に死ぬものと思いなさいというのです。この短い時間にすべての準備をしなければなりません。このような観念をもって生きなければなりません。できるだけ短く見積もるほど幸福なのです。短く見積もるほど、損害を見ないというのです。その期間に真のものになるように準備するその内容が、自分の永遠の生命の家を建てるのです。では、その短い期間に、神様を愛してみましたか。神様と一つになって愛したいのに、愛することができません。神様は「愛しなさい」と言われるのです。そのように生きて死ねば、それが永遠の生命の主体になるのです。
私達の地上生活は限られた期間です。
いつまで生きられるか分かりません。
神様は私達の親です。
生まれてから今まで神様は私達を愛して下さいました。
そしてこれからも愛し続けて下さいます。
それでは私達は神様を愛しているでしょうか?
愛してきたでしょうか?
人間始祖の堕落によって神様との関係が切れてしまいました。
親子の関係が失われました。
そのため神様を愛することが出来ませんでした。
キリストを通して神様が親であることを知りました。
そして私達を愛し続けて下さっていることを知ったのです。
地上で生きている間に神様を愛することが必要です。
そのまま霊界に行っては神様を愛することが出来ないからです。
神様を愛することは人を愛することです。
地上にいる間に人を愛さなければ霊界に行って神様の様な愛の主体になることが出来ません。
限られた地上生活です。
地上で人を愛し、霊界で神様と共に生きる者となろうではありませんか。
2020.1.19
人間の力、人間の知恵、人間の文化、その何をもってしても、真の意味の平和の世界や一つの統一された世界を願うことのできない時点にあるということを、私たちは知っています。このような立場で世界文化を解決するにおいて、最も中心問題とは何ですか。神がいるか、いないかという問題をはっきり解明することが、何よりも重要なこ問題だと思います。万一神様がいるということを全人類が知るようになった場合には、神様のみ旨がどのような所を指向するのかということがはっきり分かるようになるはずであり、その指向するみ旨を知るようになる時は、その世界こそ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界であらざるを得ないのです。
真のお父様は言われています。
人間の力、人間の知恵、人間の文化では真の意味の平和の世界は実現しません。
一つの統一された世界を願うことは出来ないのです。
何故でしょうか?
それは人間が堕落しているからです。
それ故自分の心と体の統一すら出来ないのです。
自分自身の問題が解決出来ません。
真の意味の平和の世界は神様がいることを明確にするところから出発します。
そして全人類が神様を知り、そのみ旨が分かれば世界はみ旨の方向に向かいます。
神様を知り、み旨が分かれば個人の問題も当然解決するはずです。
そこから心と体の統一が可能になるはずです。
堕落した人間の力、人間の知恵では平和な世界は訪れることはありません。
それは歴史が証明しています。
神様を知り、人間と神様が繋がることによって道が開かれるのではないでしょうか。
今こそ神様を知り、そのみ旨を知ろうではありませんか。
そして平和の世界、統一された世界を築こうではありませんか。
2019.11.3
私たちは、神様の愛によって生まれ、その愛によって生きながら、息子、娘を生んで愛の目的地に到達し、永遠に神様と共に生きるために神様のもとに帰るのです。すなわち私たちの一生というものは、愛によって始まり、愛によって成熟して、愛の実として摘み取られるのです。人が死ぬというのは愛の実を摘み取るということです。私たちが父母の愛を受け、夫婦の愛を分かち合い、子女を愛したがゆえに、神様の愛が内的な愛の世界に蒔かれたすべてのものを、私が一生をかけて実を結び、摘み取ってあの世に行くのです。
私達は神様の愛によって生まれました。
神様の子女として生まれたのです。
偶然生まれたのではないのです。
真のお父様を通してそれが明確になりました。
私達は神様の愛によって生きています。
隣人を愛することを神様は願っておられます。
神様のように子女を愛することを願っておられます。
この地上で真の愛の実践をし続けることを願っておらるのです。
そうすれば神様と一つになることが出来るからです。
地上で神様と共に生きることが出来るのです。
そして霊界で神様と永遠に生きることが出来ます。
私達の一生は愛によって始まりました。
愛によって成熟しています。
最終的に愛の実として摘み取られます。
そのように神様と永遠に共に生きる子女になろうではありませんか。
(執筆中)