天聖経(罪と蕩減復帰より)
神様の前に立っていたアダムとエバ自身が神様の内情を察することができるたなら、堕落しようにもできなかったはずです。父母は父母として子供に対して愛の心をもっていますが、子供は父母の深い心情まで知らなかったのです。もちろん幼くて堕落したのでしょうが、その年齢の幼さが堕落の動機になったのではなく、心情が足らずに堕落したのではないでしょうか。「あの方は私に対している。あの方は私と離れようにも離れられない」と、神様が一切の問題に関係しているということを、もしアダムとエバが感じることができたなら、彼は堕落することができなかったのではないでしょうか。結局心情の一致点をもてなかったので堕落したのです。天の願いと自分たちの願いが食い違い、自分の考える方向が天の考えることと食い違っていたから、堕落したのではないでしょうか。

教会長のコメント
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the head of the church
神様の内情を察する
メシヤを通して私達は神様の子女となりました。 では私達は神様の子女としてどう生きれば良いのでしょうか? アダムエバは堕落前、神様の前に立っていました。 しかし神様の内情を察することが出来ず堕落したのです。 私達はサタン(蝮)の子女でした。 それ故神様の前に立っていることが分かりませんでした。 今は神様の前に立っています。 アダムエバの失敗を繰り返してはいけないのです。 神様は愛の心を持っておられます。 しかし私達はその事が分かっていませんでした。 そのため私達は神様の深い心情を知る努力が必要です。 神様は私と離れようにも離れられないのです。 神様は私の一切の問題に関係しているのです。 その事が分からすアダムとエバは堕落しました。 堕落していた私達は神様の願いと自分の願いが食い違っていました。 神様の考えることと私達の考える方向が違っていました。 今や私達は神様の子女になりました。 では自分の願いが神様の願いと一致しているでしょうか? 達の考えと神様の考えが同じでしょうか? メシヤに倣い神様のように考えようではありませんか。 神様の願いに応えようではありませんか。 一歩一歩神様に近づいて行こうではありませんか。 神様の子女として神様の内情を察する者になろうではありませんか。
天聖経(真の家庭と「家庭盟誓」より)
男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。自分という存在を主張するところには、神様が共にいらっしゃるはずがなく、他人を尊重する時に、神様が共にいらっしゃいます。原則的で原理的な思考によって、私たちは二本の足で歩いてるのです。

教会長のコメント
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the head of the church
神様が共におられる
どんな時に神様は共におられるのでしょうか? 自分という存在を主張するところにはおられないのです。 他人を尊重する時におられるのです。 人間はお互いの為に生きるように神様によって創造されました。 それはまず神様が人間の為に生きておられるからです。 為に生きようとされる心を持っておられるからです。 人間には神様と同じように為に生きようとする心があります。 私達が相手の為に生きようとすれば神様が共におられます。 しかし、人間始祖が堕落した為に自己中心の心もあります。 私達が自己中心の心の時は神様は共におられません。 神様の心とは相容れないからです。 全く正反対だからです。 自己中心の心を持った人間とは共にいたいとは思われません。 私達は神様の子女です。 神様に似た神様の子女です。 神様のように相手の為に生きようではありませんか。 自己中心である限り神様は共におられません。 為に生きる生活をすることで神様と共にある人生を送ろうではありませんか。 神様の子女として相応しく。
天聖経(真の愛より)
宗教は受難の道を行かなければなりません。体と闘わなければなりません。一番の怨讐とは何かといえば、悪魔の血が激動する色です。淫乱から解放しなければなりません。その次に愛から解放しなければなりません。サタンの血でつづられた血統から逃れるためには淫乱から解放しなければなりません。そうして、生命に接ぎ木しようとするには神様と関係を結ばなければなりません。そうしてこそ愛が始まります。愛の伝統的中心は神様です。生命の祖先も神様です。

教会長のコメント
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the head of the church
神様と関係を結ぶ
人間始祖が堕落し、人間は神様と霊界が分からなくなりました。 そのため、神様は人間に宗教を通して神様と霊界を教えようとされました。 同時に心が体よりも大切であることを教えようとされました。 しかし、人間は堕落しているので体の欲望のままに生きています。 衣食住と性の欲望のままに生きているのです。 人の為に生きようとする良心の欲望に従っている人が少ないのです。 体の欲望のままに生きている人があまりにも多いのです。 特に性の欲望は淫乱の罪を犯します。 アダムエバの堕落以後、人間は淫乱の罪を犯し続けて来ました。 現在も進行中であり、人間の力では解決が出来ません。 まず宗教によって心を強くし、体をおさめなければなりません。 なぜならこの体に悪魔の血が流れているからです。 血が騒ぐからです。 サタンの血統だからです。 この体をおさめなければならないのです。 淫乱から解放しなければならないのです。 サタンの愛、自己中心の愛から解放しなければなりません。 生命に接ぎ木しようとするには神様と関係を結ばなければないのです。 心を神様と繋ぐ努力を通して体と闘わなければなりません。 そしておさめなければならないのです。 私達の心が神様の心と繋がらなければ体に勝つことは出来ません。 これまで神様と切れていた私達です。 どんなことがあっても神様と関係を結ばなければならないのです。 どんなことがあってもです。 メシヤは罪の無い方ですが、神様と関係を結ばれた方です。 私達に神様と関係を結ぶことの重要さを教えて下さいました。 私達にはメシヤに従うしか道はないのです。 自分だけでは解決出来ないのですから。 それ故メシヤの語られたみ言に従うしかないのでありませんか。 メシヤのみ言に従い神様と関係を結びましょう。 そして体をおさめることの出来るものとなりましょう。