天聖経(罪と蕩減復帰より)
蕩減は、何をとしてするのでしょうか。蕩減の内容とは何でしょうか。サタンをより愛するのか、神様をより愛するのかという愛の問題です。すべてのことが愛の問題です。蕩減するのには神様の絶対に信奉しなければなりません。ところがサタンは神様を絶対に信奉しませんでした。背信したということです。始めてから、中間で神様を背信しました。それゆえに、まず蕩減の道を行くに当たって信仰や行動が絶対的でなければなりません。

教会長のコメント
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the head of the church
神様を信奉する
人間始祖が堕落したため私達は蕩減の道を行かなければいけません。 その道はどんな道でしょうか? 堕落した時、サタンも人間始祖も神様を絶対信奉しませんでした。 それ故私達の道は神様を絶対信奉する道となりました。 キリストと出会い、私達は神様を信じるようになりました。 しかしこれまで神様を信じて来なかったため信じ続けることが出来ません。 イエス様も真のお父様も神様を絶対信奉されました。 キリストのみ言が無ければ私達は神様を信じることが出来ません。 私達の住んでいた世界は神様と関係ない世界でした。 しかし今は違います。 キリストを通して神様を知り、神様の子女に戻りました。 神様の子女となった私達に願われるのは神様を信じることです。 神様を絶対に信奉することです。 そしてキリストのみ言を信じて実践することです。 み言には力があります。 み言を通して神様からまず力を得ましょう。 そして為に生きる生活をしましょう。 神様を信じ続け、キリストに似る者になりましょう。 私達は神様の子女なのですから。 私達はみ言が無ければ以前の状態に戻ってしまいます。 サタンの子女に戻ってしまいます。 過去の生き方をせず、神様の子女として相応しく生きようではありませんか。
天聖経(罪と蕩減復帰より)
神様の前に立っていたアダムとエバ自身が神様の内情を察することができるたなら、堕落しようにもできなかったはずです。父母は父母として子供に対して愛の心をもっていますが、子供は父母の深い心情まで知らなかったのです。もちろん幼くて堕落したのでしょうが、その年齢の幼さが堕落の動機になったのではなく、心情が足らずに堕落したのではないでしょうか。「あの方は私に対している。あの方は私と離れようにも離れられない」と、神様が一切の問題に関係しているということを、もしアダムとエバが感じることができたなら、彼は堕落することができなかったのではないでしょうか。結局心情の一致点をもてなかったので堕落したのです。天の願いと自分たちの願いが食い違い、自分の考える方向が天の考えることと食い違っていたから、堕落したのではないでしょうか。

教会長のコメント
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the head of the church
神様の内情を察する
メシヤを通して私達は神様の子女となりました。 では私達は神様の子女としてどう生きれば良いのでしょうか? アダムエバは堕落前、神様の前に立っていました。 しかし神様の内情を察することが出来ず堕落したのです。 私達はサタン(蝮)の子女でした。 それ故神様の前に立っていることが分かりませんでした。 今は神様の前に立っています。 アダムエバの失敗を繰り返してはいけないのです。 神様は愛の心を持っておられます。 しかし私達はその事が分かっていませんでした。 そのため私達は神様の深い心情を知る努力が必要です。 神様は私と離れようにも離れられないのです。 神様は私の一切の問題に関係しているのです。 その事が分からすアダムとエバは堕落しました。 堕落していた私達は神様の願いと自分の願いが食い違っていました。 神様の考えることと私達の考える方向が違っていました。 今や私達は神様の子女になりました。 では自分の願いが神様の願いと一致しているでしょうか? 達の考えと神様の考えが同じでしょうか? メシヤに倣い神様のように考えようではありませんか。 神様の願いに応えようではありませんか。 一歩一歩神様に近づいて行こうではありませんか。 神様の子女として神様の内情を察する者になろうではありませんか。
天聖経(真の家庭と「家庭盟誓」より)
男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。自分という存在を主張するところには、神様が共にいらっしゃるはずがなく、他人を尊重する時に、神様が共にいらっしゃいます。原則的で原理的な思考によって、私たちは二本の足で歩いてるのです。

教会長のコメント
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the head of the church
神様が共におられる
どんな時に神様は共におられるのでしょうか? 自分という存在を主張するところにはおられないのです。 他人を尊重する時におられるのです。 人間はお互いの為に生きるように神様によって創造されました。 それはまず神様が人間の為に生きておられるからです。 為に生きようとされる心を持っておられるからです。 人間には神様と同じように為に生きようとする心があります。 私達が相手の為に生きようとすれば神様が共におられます。 しかし、人間始祖が堕落した為に自己中心の心もあります。 私達が自己中心の心の時は神様は共におられません。 神様の心とは相容れないからです。 全く正反対だからです。 自己中心の心を持った人間とは共にいたいとは思われません。 私達は神様の子女です。 神様に似た神様の子女です。 神様のように相手の為に生きようではありませんか。 自己中心である限り神様は共におられません。 為に生きる生活をすることで神様と共にある人生を送ろうではありませんか。 神様の子女として相応しく。