天聖経(真の家庭と「家庭盟誓」より)
「家庭盟誓」は、すべて初めに「真の愛を中心として」から始まるのです。復帰の道は、神様と一つになった真の愛の道から出発するのです。故郷に行っても神様を身代わりし、真の御父母様を身代わりしなければなりません。

教会長のコメント
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the head of the church
神様を身代わりする
真のお父様は私達にどこに居ても神様を身代わりしなければならないと言われています。 では私達はどこに居ても神様を身代わりしているでしょうか? いつでも神様を身代わりしているでしょうか? 或いは神様を身代わりしている自覚があるでしょうか? もし実感が無く、自覚が無ければどうすべきでしょうか? まず神様の子女であり、神様を身代わりしているという意識を持つべきではないでしょうか? 神様と一つになった真の愛の道から出発していれば自然と神様を身代わりします。 しかし神様と一つになっていないために神様を身代わり出来ていません。 それは私達が蝮(サタン)の子女だったからです。 神様と一つになる努力が必要です。 そして真の愛の実践が必要です。 即ち真の愛を中心にして生きることが必要なのです。 サタンを中心に偽りの愛の中で私達は生きてきました。 そのため真の愛を中心して生きることはとても難しいのです。 自分自身が真の愛を実践しているのか? 絶えず振り返ってみなければいけないのではないでしょうか? 過去はサタンを身代わりして来たのですから。 その上神様を身代わりすることはとても難しいのですから。 未だに神様を身代わり出来ていないのではないか? どうしたら神様を身代わり出来るのだろうか? 真の愛を中心にして生きているだろうか? 私達は神様の身代わりの立場です。 絶えず自分を顧みながら神様を身代わりする人生を送ろうではありませんか。 神様のように、キリストのように隣人に接して行こうではありませんか。 神様を身代わりするに相応しい姿になろうではありませんか。 それが神様と真のお父様の願いなのですから。
天聖経(礼節と儀式より)
すべての宗教では見るものをむやみに見ないで、聞くものをむやみに聞かないで、言うことや対するのをむやみにするなと言います。見るのも、聞くのも、言うのも、感じるのも、愛するのも、すべてが神様を中心としてしなければならないのであって、自分を中心としてはいけないということです。

教会長のコメント
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the head of the church
神様を中心としてする
私達はすべてを神様を中心としてしているでしょうか? それとも自分を中心としてしているでしょうか? 真のお父様はこう言われています。 すべての宗教では見るものをむやみに見ないで、 聞くものをむやみに聞かないで、 言うことや対するのをむやみにするなと。 真のお父様は見るのも、聞くのも、言うのも、感じるのも、 愛するのも、すべてを神様を中心としてされました。 私達に模範を示して下さいました。 それは私達が蝮(サタン)の子として生きて来たからです。 そしてすべてを自分を中心としてする癖がついているからです。 そのためその習慣性(堕落性)を取り除けていません。 見るものを自分勝手に見てしまいます。 聞くものを自分勝手に聞いてしまいます。 言うことを自分勝手に言ってしまいます。 対するのを自分勝手に対してしまうのです。 このように染みついてしまっているのです。 あまりにも神様とかけ離れてしまっています。 意識してその習慣性を変える努力をしなければどうして取り除くことが出来るでしょうか? 徹底した意識の継続が必要ではないでしょうか? 自分中心ではなく、神様中心に見る習慣。 神様中心に聞く習慣。神様中心に言う習慣。 神様中心に対する習慣。神様中心に考える習慣。 神様中心に判断する習慣。神様中心に行動する習慣。 そうすれば神様中心の生活が送れるのではないでしょうか? 真のお父様は私達に神様の子として神様中心に生きることを願われています。 私達は真の子女として真のお父様に倣う者になろうではありませんか。 そして真のお父様に似る者、神様に似る者になろうではありませんか。
天聖経(礼節と儀式より)
統一教会員の中で「私が先に入ってきたのでアベルで、あとから入って来た人はカインなので、私に侍りなさい!」と言う、このような気違いたちがいます。アベルとはどのような人ですか。神様の御心どおりにする人がアベルです。より公的な人がアベルです。カインとは何ですか。サタン側です。サタンは、自分を考えるところから出発したのです。アベルは、自分を考えず神様を考えるところから始めたのです。これを知らなければいけません。

教会長のコメント
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the head of the church
神様を考える
ルーシェルは自分を考えてエバを誘惑し堕落しサタンとなりました。 エバも自分を考えてアダムを誘惑し堕落しました。 私達はサタンの血統として生まれました。 それ故にまず自分を先に考えます。 特にカインのような性質を持った人は自分を先に考えます。 逆にアベルのような性質を持った人は神様を先に考えます。 絶対的なアベルのイエス様はいつも神様を考えました。 真のお父様もいつも神様を考えました。 自分を考えず神様を考えるところから始められました。 神様のみ意どおりにされました。 そしていつも私的ではなく公的に生きられました。 今私達はどちらの生き方をしているでしょうか? 神様を考えず自分を考えるところから始めているでしょうか? それとも自分を考えず神様を考えるところから始めているでしょうか? サタンの血統として生まれた私達ですが、今は神様の子女になりました。 そして今アベルの立場に立っています。 今後はどのように生きるべきでしょうか? 自分を先に考える習慣を無くさなければいけません。 神様を先に考える習慣を身に付けなければいけません。 しかし神様を考えて来なかった私達がいつも神様を先に考える習慣を身に付けることは大変なことです。 私的ではなく公的に生きる努力も必要です。 自分の考え、判断、行動、生活が私的か公的か絶えずチェックすべきではないでしょうか? そして公的に生き、神様をいつも先に考える習慣を身に付けるべきではないでしょうか? そのように生きなければ神様のみ意どおりに生きることは出来ません。 真のお父様は私達に模範を示して下さいました。 真のお父様は私達にアベルになることを願われています。 今からでも自分を考えず神様を考えるところから始めようではありませんか。 絶えず神様に尋ねる習慣を身に付けようではありませんか。