no.14

天聖経(礼節と儀式より)

2017.01.22
  • 天聖経
  • 礼節と儀式より

皆さんがここに来た目的とは何ですか。それはある環境的な問題を解決するために来たのではなく、人間の根本問題を解明し、絶対者から認定を受け、確定を受け、その絶対者の前に立つことができるようになるために来たのです。

教会長のコメント

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the head of the church

神様の前に立つ

 私達がメシヤである真のお父様と出会った目的は何でしょうか? 何のために今ここにいるのでしょうか? ある環境的な問題を解決するために来たのではないというのです。 様々な問題に悩みそれらを解決したいと思っていた時に私達はメシヤと出会いました。 しかし、私達にとって一番重要な問題はそれらの事ではありませんでした。  人間の根本問題を解明し、神様から認定を受け、確定を受け、神様の前に立つことが 出来るようになるために来たと真のお父様は言われています。 まず真のお父様が人間の根本問題を解明されました。 神様から認定を受けられました。 確定を受けられました。 そして神様の前に立たれたのです。  私達はどうでしょうか? 原理を学びましたが人間の根本問題を解明出来たでしょうか? まず原理を理解する努力が必要ではないでしょうか? 神様から認定を受け、確定を受ける生き方をしているでしょうか? 神様の前に間違いなく立っているでしょうか? 神様の前に立っているならば真のお父様のようになるはずです。 私達の目的は神様の前に永遠に立ち続けることではないでしょうか? 今も真のお父様は神様の前に立っておられます。  私達は神様の前に立っているでしょうか? 神様の前に立っているという自覚があるでしょうか? 私達は目的を忘れてはいないでしょうか? 神様を忘れてはいないでしょうか? 神様を忘れず目的を忘れず目的に向かって努力し続けなければ神様の前に立つことは出来ません。  私達は神様の子供です。 神様の前に堂々と立てる神様の息子、娘になろうではありませんか。 そのために努力し続けようではありませんか。

no.13

天聖経(罪と蕩減復帰)

2017.01.08
  • 天聖経
  • 罪と蕩減復帰

私がこの地に人間として生まれ、本然の地上の万物を神様のように愛し、動物を神様のように愛し、人間を神様のように愛したがゆえに神様の相対になったのです。 神様から出発したので神様に帰るのです。 神様は皆さんが生きている間に、何億万倍も素晴らしくなることを願っておられます。 それゆえご自身よりも素晴らしい息子となって帰ってくることを願っておられるという事実なのです。

教会長のコメント

Comment from
the head of the church

神様に帰る

 私達は真のお父様を通して神様の子女となり永遠の命を得ました。 神様の子女となるまでは永遠の命ではなくこの地上だけの限られた命でした。 その上、永遠の世界、霊界があることを知りませんでした。 しかし、今は違います。 キリストと共に、神様と共に永遠に生きることが出来るのです。 以前と180度違う生活をしているのです。  ところが目の前の世界は以前と変わっていません。 それ故ややもすれば神様と共に生きているとは言えない生活をしているのではないでしょうか? 真のお父様はどのように生きて来られたのでしょうか? 真のお父様はこの地に人間として生まれ、本然の地上の万物を神様のように愛し、動物を神様のように愛し、人間を神様のように愛したがゆえに神様の愛の相対になられました。  私達はどうすべきでしょうか? 万物を、動物を、人間を神様のように愛すべきだというのです。 そのように生きなければ永遠の命に至ることが出来ません。 神様の愛の相対になれません。 私達は真のお父様を通して神様と出会いました。 人生を神様と共に出発しました。 出発したのですから神様に帰らなければいけません。  真のお父様が神様に帰られたように私達も神様に帰るべきではないでしょうか?  人生を神様と共に出発したのに神様に帰ることが出来なければ悲惨です。 私達が神様のように愛することが出来るまで神様は待っておられます。 私達は人を愛しているでしょうか? それとも愛していないでしょうか? 愛しているとすればその愛し方でいいのでしょうか?  間違った愛し方をしていないでしょうか? 自分なりになっていないでしょうか? 私達も如何にしたら神様のように愛することが出来るかを毎日意識しながら生きるべきではないでしょうか? そして神様と真のお父様からその愛し方でいいよ。と言われる愛し方で人を愛したいとは思いませんか?

no.12

天聖経(真の神様より)

2016.12.18
  • 天聖経
  • 真の神様より

 絶対的に神様を信じなさい。 左にも信じることができず、右にも信じることができず、 東西南北、前後左右、全部信じることができません。 絶対的に信じれば中央線に行くのです。 絶対的に信じれば一つの位置を求めていくのです。 絶対的な位置、神様がいらっしゃるところを求めていくのです。 そこからすべてが解かれるのです。 それゆえに信仰には独裁性が多いのです。 話し合うことができません。 ねじれているので強制的にでも角度を合わせなければなりません。 ですから神様がどれほど苦痛で、私たち人類がどれほど苦痛なことでしょうか。

教会長のコメント

Comment from
the head of the church

神様を信じる

 真のお父様とイエス様は神様を絶対的に信じておられました。 私達はどうでしょうか?神様を信じているでしょうか? それとも信じていないでしょうか?或いはどれほど信じているでしょうか?  私達は堕落していたために神様を信じていませんでした。 しかし、真のお父様を通して神様を知り、神様を信じるようになりました。 真のお父様のお姿、生活、行動を見れば神様を信じておられることがわかります。 イエス様の生涯を通しても神様を信じておられることがわかります。  それでは私達の姿、生活、行動が神様を信じていることを証明しているでしょうか? それとも神様を信じているとは言えない姿でしょうか? どちらでしょうか?  神様を信じて来なかったために神様に角度を合わせられないのです。 それ故に信じ続けることによって神様に角度を合わせなければならないのです。 今私達は神様を信じ続ける努力をしているでしょうか? 神様を信じ続ければどのような人間になるでしょうか?  神様のようになるのではないでしょうか? この人は神様を信じている人だなあと周りが感じるのではないでしょうか? 当然自分でも感じるでしょう。  神様を信じるなら、絶えず神様を意識し、神様を実感しているのではないでしょうか? 神様を意識せず、神様を実感していないのなら神様を信じているとは言えないのではないでしょうか? そのような姿であれば神様を知る前と何の変わりがあるでしょうか? 全く変わりがないのではないでしょうか?  このままでいいのでしょうか? せっかく神様を信じて人生を再出発した私達です。 真のお父様に習い、神様を絶対的に信じる所までたどり着こうではありませんか。 そして神様の子供として相応しい姿になろうではありませんか。