no.20

天聖経(真の家庭と「家庭盟誓」より)

2017.04.16
  • 天聖経
  • 真の家庭と「家庭盟誓」

今まで、神様が共に暮らすことができる家庭がなく、国がなく、世界がなかったということは繰り返して言うまでもありません。皆さんは、常にこのような概念をもたなければなりません。私自身においても、神様が共に生きることができず、世界においても生きることができなかったのです。そのような神様を再びお迎えし、堕落した世界のいかなる孝子、いかなる忠臣、いかなる聖人、いかなる聖子よりも、高い位置において神様に侍って生活しなければならないという、そのような信仰のモットーを強化しなければなりません。

教会長のコメント

Comment from
the head of the church

神様が共に生きる

 人間始祖の堕落によって何が起きたのでしょうか? 神様が人間と共に生きることが出来なくなりました。 しかし二千年前、神様は再び人間と共に生きることが出来ました。 そのお方がイエス様です。33年間神様が共に生きられました。 しかしイエス様の十字架によって神様は再び孤独になられました。 神様が共に生きる人間がいなくなりました。  神様は二千年間待たれ真のお父様と共に生きることが出来ました。 真のお父様は神様が共に生きることの出来る心を持たれました。 イエス様も神様が共に生きることの出来る心を持たれました。  私達はどうでしょうか?  神様が共に生きることの出来る心を持っているでしょうか? 私達はこれまで蝮(サタン)の血統でした。 それ故に神様が共に生きる心ではありませんでした。  今はどうでしょうか? 神様が共に生きることの出来る人間になっているでしょうか? そのような心を持っているでしょうか? 私達は神様の血統、神様の子女になりました。 しかし神様の血統になれば神様が共に生きることが出来るのでしょうか? 自分の姿、自分の心を見て神様が共に生きているといえるでしょうか? 神様があなたと共に生きたいといえる姿になっているでしょうか? 自己中心のままでどうして神様が共に生きることが出来るでしょうか? それではサタンの血統と変わらないではありませんか。 このままでは神様が共に生きることが出来ません。  それでは私達は一体どうすべきでしょうか? 神様があなたと共に生きたいといえる姿になるべきではないでしょうか? そのような心、そのような姿になる努力が必要ではないでしょうか? イエス様と真のお父様は敵を愛されました。  私達はどうでしょうか? 敵を愛し、敵の為に祈っているでしょうか? まず隣人を愛し、隣人の為に祈る所から始めようではありませんか。 神様の子女として神様が共に生きることの出来る姿になる為に。 まずみ言を訓読し、み言を実践しようではありませんか。 神様が共に生きる人間になる為に。 それが神様の願いなのだから。

no.19

天聖経(真の家庭と「家庭盟誓」より)

2017.04.02
  • 天聖経
  • 真の家庭と「家庭盟誓」

「家庭盟誓」は、すべて初めに「真の愛を中心として」から始まるのです。復帰の道は、神様と一つになった真の愛の道から出発するのです。故郷に行っても神様を身代わりし、真の御父母様を身代わりしなければなりません。

教会長のコメント

Comment from
the head of the church

神様を身代わりする

 真のお父様は私達にどこに居ても神様を身代わりしなければならないと言われています。 では私達はどこに居ても神様を身代わりしているでしょうか? いつでも神様を身代わりしているでしょうか? 或いは神様を身代わりしている自覚があるでしょうか?  もし実感が無く、自覚が無ければどうすべきでしょうか? まず神様の子女であり、神様を身代わりしているという意識を持つべきではないでしょうか? 神様と一つになった真の愛の道から出発していれば自然と神様を身代わりします。 しかし神様と一つになっていないために神様を身代わり出来ていません。 それは私達が蝮(サタン)の子女だったからです。  神様と一つになる努力が必要です。 そして真の愛の実践が必要です。 即ち真の愛を中心にして生きることが必要なのです。 サタンを中心に偽りの愛の中で私達は生きてきました。 そのため真の愛を中心して生きることはとても難しいのです。  自分自身が真の愛を実践しているのか? 絶えず振り返ってみなければいけないのではないでしょうか? 過去はサタンを身代わりして来たのですから。 その上神様を身代わりすることはとても難しいのですから。 未だに神様を身代わり出来ていないのではないか? どうしたら神様を身代わり出来るのだろうか? 真の愛を中心にして生きているだろうか?  私達は神様の身代わりの立場です。 絶えず自分を顧みながら神様を身代わりする人生を送ろうではありませんか。 神様のように、キリストのように隣人に接して行こうではありませんか。 神様を身代わりするに相応しい姿になろうではありませんか。 それが神様と真のお父様の願いなのですから。

no.18

天聖経(礼節と儀式より)

2017.03.19
  • 天聖経
  • 礼節と儀式より

すべての宗教では見るものをむやみに見ないで、聞くものをむやみに聞かないで、言うことや対するのをむやみにするなと言います。見るのも、聞くのも、言うのも、感じるのも、愛するのも、すべてが神様を中心としてしなければならないのであって、自分を中心としてはいけないということです。

教会長のコメント

Comment from
the head of the church

神様を中心としてする

 私達はすべてを神様を中心としてしているでしょうか? それとも自分を中心としてしているでしょうか? 真のお父様はこう言われています。 すべての宗教では見るものをむやみに見ないで、 聞くものをむやみに聞かないで、 言うことや対するのをむやみにするなと。  真のお父様は見るのも、聞くのも、言うのも、感じるのも、 愛するのも、すべてを神様を中心としてされました。 私達に模範を示して下さいました。  それは私達が蝮(サタン)の子として生きて来たからです。 そしてすべてを自分を中心としてする癖がついているからです。 そのためその習慣性(堕落性)を取り除けていません。 見るものを自分勝手に見てしまいます。 聞くものを自分勝手に聞いてしまいます。 言うことを自分勝手に言ってしまいます。 対するのを自分勝手に対してしまうのです。  このように染みついてしまっているのです。 あまりにも神様とかけ離れてしまっています。 意識してその習慣性を変える努力をしなければどうして取り除くことが出来るでしょうか? 徹底した意識の継続が必要ではないでしょうか?  自分中心ではなく、神様中心に見る習慣。 神様中心に聞く習慣。神様中心に言う習慣。 神様中心に対する習慣。神様中心に考える習慣。 神様中心に判断する習慣。神様中心に行動する習慣。  そうすれば神様中心の生活が送れるのではないでしょうか? 真のお父様は私達に神様の子として神様中心に生きることを願われています。 私達は真の子女として真のお父様に倣う者になろうではありませんか。 そして真のお父様に似る者、神様に似る者になろうではありませんか。