最新の礼拝の内容

Worship content

礼拝で紹介したみ言葉を投稿しています。

no:48

2019.2.3

神様を愛する
天聖経(人間の生と霊魂の世界からより)

それではその時まで何をすべきでしょうか。その世界に行って合うように、ここで訓練しなければならないのです。父母を見て愛してこそ、神様を愛せるのであり、新郎を愛してこそ、あの世に行って神様を愛することができるのです。訓練場が地上世界だというのです。それでは、死なないでそれを願うことが可能ですか。この体を脱がずなければなりませんか、脱がなくてもよいですか。

 その時とはいつでしょうか?
それは肉身(肉体)が土に帰る時です。
即ち肉身の寿命が切れる時です。
 その時まで一体何をすべきでしょうか?
その世界、即ち霊界に行って合うように地上での訓練が必要なのです。
どんな訓練をしなければならないのでしょうか?
父母を愛するのです。
新郎を愛するのです。
地上世界で家族を愛し、隣人を愛するのです。
真のお父様は地上世界で愛する訓練をしなさいと言われています。
 地上で誰も愛することが出来なければ霊界で一人です。
その上霊界で父なる神様を愛することが出来ません。
人はいつか必ず死にます。
必ず死が訪れます。
地上で隣人を愛してこそ霊界で神様を愛することが出来るのです。
地上でしか霊界に行く訓練は出来ないのです。
 全ての人をすぐに愛することは出来ません。
まず身近な人から愛して行こうではありませんか。
毎日毎日が愛の訓練の場です。
死が間違いなく近づいています。
1日1日を大切に生きて行こうではありませんか。
私達は神様の息子娘なのです。
神様がキリストを通して隣人を愛することの大切さを教えて下さったのですから。

no:47

2018.10.28

神様のみ意に従う
天聖経(成約人への道より)

すべての人間は、それぞれ自分の中に最も貴い師を一生の間ずっともっているのです。にもかかわらず、その師を間違って待遇し、踏みにじり、濫用します。その師が、正に人間の良心です。私たちの良心は、常に私たち自身にもためになるように言葉を語り、私たちを真の愛と連結させてあげようとします。父母のように私たちの良心は、私たちをして善なる非利己的な人になれと促し、神様の御心に従って行動するように導いてくれます。しかし、各自の心の中にはまだ、良心の声にいつも逆らう反乱者がいます。その反乱者が、まさしく肉体なのです。

アダム、エバは個性完成すれば神様のみ意に従って生きるはずでした。
ところが堕落して自己中心に生きるようになりました。
当然神様の存在も分からなくなりました。
神様のみ意から外れて生きるようになったのです。
肉心(肉体の欲望)を中心に生きる堕落人間になりました。
 しかし神様は私達に良心(本心)を与えて下さいました。
すべての人間は良心を持っています。
たとえ悪人であってもです。 
ただ最近はサイコパスのように心の無いような人もいますが。
 自己中心な私達は師である良心を間違って待遇しています。
踏みにじり、濫用しているのです。
良心(神様)の声に耳を傾けず自分勝手に生きています。
 良心は常に私達自身にもためになるように言葉を語っています。
私達を真の愛と連結させてあげようとしているのです。
善なる非利己的な人になれと促しています。
神様のみ意に従って行動するように導いてくれています。
 ところが私達の良心の声にいつも逆らう反乱者が私達の中にいます。
その反乱者が肉体です。
良心が肉体に負ければ神様と似ても似つかぬ姿になります。
それが私達の現実の姿なのです。 
これではサタン(蝮)の子のままです。
神様の子女として相応しくありません。
 サタンの子と同じ状態で良いのでしょうか。
良心の声に絶えず従って生きようではありませんか。
神様のみ意に従って生きて行こうではありませんか。
神様の子女として相応しい姿になるために。

no:46

2018.10.14

神様の直系の愛を受ける
天聖経(成約人への道より)

神様は、人間を愛のために造られました。人間はなぜ造られたのでしょうか。愛のために造られたのです。人間が万物と違うのは、神様の息子、娘として造られたからです。神様の直系の愛を受けることができる対象者として造られたというのです。これが人間の特権です。

 神様は人間を神様の息子、娘として造られました。
神様の直系の愛を受けることが出来る対象者として造られたのです。
神様の愛は最高の愛ですが、その愛を受けることが出来るのです。
しかし人間始祖の堕落によって神様の愛を受けることが出来なくなりました。
神様の愛が感じられなくなったのです。
神様の愛の素晴らしさが分からなくなりました。
 それ故神様の愛が無くても平気になりました。
この世界の愛で満足するようになったのです。
イエス様は神様の愛の素晴らしさを実感されました。
それ故神様無しでは生きられなくなりました。 
真のお父様も神様の愛を実感されました。
そして神様無しでは生きられなくなったのです。
 イエス様は十字架上で父よ彼らを許し給えと許しの愛を示されました。
真のお父様も同じ道を歩まれました。
お二人とも神様の直系の愛を受けられました。
それ故私達を神様のように愛して下さったのです。
 私達はキリストを通して神様の子女になりました。
しかしまだ神様の直系の愛を受けきれていません。
何故ならキリストのようになっていないからです。
キリストに似る努力を怠っているからです。
もっともっと神様の直系の愛を受けれるようになろうではありませんか。
そしてキリストに似、神様に似ようではありませんか。
せっかく神様の直系の愛を受けることの出来る特権を得たのですから。

no:45

2018.9.16

神様を中心として生きる
天聖経(成約人への道より)

今までの道人(修道者)たちは何を中心として生活してきたでしょうか。イエスもかわいそうな人です。夜も昼も神様のみ旨のみを抱いて、自分の意志はありません。神様のみ旨の前に絶対服従でした。絶対服従!なぜ絶対服従したのでしょうか。絶対的な主体、原形的な主体がいるのにもかかわらず、もう一つの三角形的主体の圏を成したのがサタンなので、そのサタンを除去させるためにそうしたのです。

 イエス様は神様を中心として生活されました。
神様のみ旨のみを抱いて生きられました。
自分の意志を持たれなかったのです。
 私達は違います。
神様を中心として生きていません。
神様のみ旨ではなく自分の欲望のままに生きています。
何故でしょうか?
 それは私達が堕落したアダムエバの血統だからです。
サタン(まむし)の子だからです。
神様の子女の位置を離れたからです。
 イエス様は神様の子女としてお生まれになりました。
そしてサタンを除去するためみ旨の前に絶対服従でした。
全生涯を神様のみ旨のみに従って生きられました。
真のお父様も同じ道を歩まれました。
神様のみ旨のみに生きてサタンを屈服されたのです。
 私達は神様の子女です。
キリストに倣い神様のみ旨のみに生きる努力をしようではありませんか。
まず他者の為に生きようではありませんか。
隣人を愛そうではありませんか。
自己中心のままではサタンとの関係を断ち切れません。
自己中心の思いを否定して生きようではありませんか。
そこから神様のみ旨に絶対服従する道が開かれるのではないでしょうか。
そうすれば神様の子女として相応しい姿になれるのではないでしょうか。

no:44

2018.9.2

神様の愛を受ける
天聖経(成約人への道より)

皆さん、所有権というものが、すべて自分の財産だとは考えてはなりません。所有のうちで最高のものは神様の愛であり、神様の愛を受けることのできる息子。娘の家庭であることを知らなければなりません。それが一番です。それを失ったがゆえに、すべてを失ったのです。それは探せば取り戻すことができます。

 神様はアダム、エバに三大祝福を下さいました。
生育せよ、繁殖せよ、主管せよの3つの祝福です。
主管せよは万物の所有、財産を意味します。
深い意味は神様の愛で万物を治めるということです。
自分勝手に使うことではありません。
自己中心の愛で使うことではないのです。
万物を沢山所有することではありません。
 人間始祖が堕落したために人間は神様の愛で万物を愛せなくなりました。
それは人間が愛において完成していないからです。
表現を変えれば神様の愛を所有していないからです。
何故神様の愛を所有出来ていないのでしょうか? 
神様の愛を所有する努力を怠っているからではないでしょうか。
あるいは考えてもいないからではないでしょうか。
 所有の中で一番大切なものは神様の愛です。
最高のものは神様の愛なのです。
何故なら人は神様の愛で生きるのですから。
人は神様の愛無しでは生きていけません。
しかし堕落によってそれが分からなくなってしまいました。
一番大切なものが分からなくなったのです。
そして全てを失ってしまいました。
神様の愛を所有出来ず不幸になりました。
 私達人間が生きる道は神様の愛を受けることです。
そして神様の愛を所有することです。
神様の愛を所有することによって真の幸福になれるのです。
まず神様の愛を受けることを意識しながら生活しようではありませんか。
他のことに振り回されないようにしようではありませんか。
神様の愛こそ一番大切なことを忘れずに。
それが幸福になれる道なのですから。