最新の礼拝の内容

Worship content

礼拝で紹介したみ言葉を投稿しています。

no:38

2018.5.6

神様を見習う
天聖経(地上生活と霊界より)

私たちは、いつか肉身を脱いで霊界に行かなければなりません。それゆえ、この世に生まれた私たちは、死を覚悟しなければなりません。また、善なる自己を永遠の世界に第二の自分として立てるためには、苦労をしなければなりません。お母さんの腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善なる赤ん坊として生まれるように、この地上世界での生活は、腹中での生活と同じなのです。それゆえ、神様の形状を見習い、神様の心情を見習い、神様の聖なる神性を見習って育たなければなりません。そのように育ったなら、また生命をかけて越えていかなければなりません。

  私達はいつか必ず死にます。
肉身を脱いで霊界に行きます。
この地上世界での生活は腹中での生活と同じです。
 霊界に行く為にどんな準備が必要でしょうか?
神様の形状を見習わなければなりません。
神様の心情を見習わなければなりません。
神様の聖なる神性を見習って育たなければなりません。
 この地上世界で神様のように生きなければなりません。
何故なら私達は神様の子女ですから。
神様の真の子女であるイエス様は神様のように生きられました。
真のお父様も神様のように生きられました。
模範を示されました。
 私達はイエス様、真のお父様に見習って生きるべきではないでしょうか?
神様に見習うことが出来ないのですから。
イエス様のみ言,真のお父様のみ言を実践しようではありませんか。
まず訓読すること。
次にそのみ言を従って生活すること。
イエス様の生き方、真のお父様の生き方を見習うこと。
真似ること。
今までのような自分中心の生き方をしないこと。
そして神様の子女として相応しい姿になろうではありませんか。
それが神様の願いなのですから。

no:37

2018.3.18

神様から出発する
天聖経(罪と蕩減復帰)

それでは、蕩減復帰や父母権復帰、長子権復帰、王権復帰というものがなぜ必要なのでしょうか。サタンの愛とサタンの血統が問題なのです。もともと神様から出発すべきであったのに、悪魔から出発したのです。その悪魔は愛というとてつもないものを中心として出発しました。愛ゆえに宇宙ができました。創造は、すべての創造の起源になる愛を中心としてなされたのです。その根本をサタンがひっくり返したのです。ですからひっくり帰った根本を元に戻さなければならないのです。

 創造は神様から出発しました。
すべての創造の起源になる愛を中心としてなされました。
しかし実際は悪魔から出発しました。
アダムエバが堕落したためです。
人類はサタンの血統として出発したのです。
それ故神様の愛ではなく、サタンの愛の中で生きることとなりました。
サタンの子女となり自己中心の存在となりました。
 そのため神様はサタンの子女となった人間を救う摂理を続けて来られました。
人間は神様の子女となるため蕩減復帰の道を歩むことになりました。
ですから為に生きる生活をし蕩減条件を立てなければいけません。
自己中心の愛ではなく、真の愛の実践が必要になったのです。
人間は本来神様の子女なのです。
神様のように隣人を愛することが出来ます。
イエス様が敵を愛されました。
真のお父様も怨讐を愛されました。
私達も隣人を愛し怨讐を愛する道を行こうではありませんか。
イエス様も真のお父様も神様のように生きられました。
私達もそのように生きようではありませんか。
その生き方こそ神様から出発することではないでしょうか。

no:36

2018.2.18

神様を中心にして生きる
天聖経(罪と蕩減復帰)

アダムとエバの堕落以後、人間がかかった病気とは何ですか。サタンを中心とした愛の病気になり、間違ったその愛の病気でサタンの血統を繁殖させてきたのです。言い換えれば、サタンの血統を受けてサタンの直系として生まれたのが病気なのです。ところでその病気はどのように出発したのでしょうか。神様が立てた秩序と天地の道理、環境などすべてのものを否定して、自分を中心として愛したところから堕落の病気が始まったのです。ですからこの病気を治すには、自己を否定し神様を絶対的に中心として生きなければならないのです。天使長やアダムとエバが神様を中心とした愛を願ったならば、堕落しないで理想世界を成したはずです。

 堕落の病気とはサタンの血統を受けてサタンの直系として生まれたことです。
では堕落の病気はどのように出発したのでしょうか?
その病気は神様が立てた秩序と天地の道理、環境などすべてのものを否定して、
自分を中心として愛したところから始まりました。
 私達はサタンの直系として生まれました。
サタンの血統として生まれたのです。
そのため自分を中心として生きています。 
或いは自分を中心として生きようとしています。
 この病気を治すには自分を否定して神様を絶対的に中心として生きなければいけません。
しかしサタンの血統である私達は神様中心に生きることは困難です。
そのため神様は神様の血統であるメシヤを送って下さいました。
メシヤは神様を絶対的に中心として生きられました。
そして私達に生きる模範を示されました。 
み言を下さいました。
 私達は堕落の病気を治すためにメシヤに倣い生きようではありませんか。
そしてみ言を学び真の愛の実践をしようではありませんか。
隣人の為に生きようではありませんか。
神様の真の子女となるために。
サタンの血統から抜け出るために。

no:35

2018.2.4

神様を信奉する
天聖経(罪と蕩減復帰より)

蕩減は、何をとしてするのでしょうか。蕩減の内容とは何でしょうか。サタンをより愛するのか、神様をより愛するのかという愛の問題です。すべてのことが愛の問題です。蕩減するのには神様の絶対に信奉しなければなりません。ところがサタンは神様を絶対に信奉しませんでした。背信したということです。始めてから、中間で神様を背信しました。それゆえに、まず蕩減の道を行くに当たって信仰や行動が絶対的でなければなりません。

人間始祖が堕落したため私達は蕩減の道を行かなければいけません。
その道はどんな道でしょうか?
堕落した時、サタンも人間始祖も神様を絶対信奉しませんでした。
それ故私達の道は神様を絶対信奉する道となりました。
 キリストと出会い、私達は神様を信じるようになりました。
しかしこれまで神様を信じて来なかったため信じ続けることが出来ません。
イエス様も真のお父様も神様を絶対信奉されました。
 キリストのみ言が無ければ私達は神様を信じることが出来ません。
私達の住んでいた世界は神様と関係ない世界でした。
しかし今は違います。
キリストを通して神様を知り、神様の子女に戻りました。
神様の子女となった私達に願われるのは神様を信じることです。
神様を絶対に信奉することです。
 そしてキリストのみ言を信じて実践することです。
み言には力があります。
み言を通して神様からまず力を得ましょう。
そして為に生きる生活をしましょう。
神様を信じ続け、キリストに似る者になりましょう。
私達は神様の子女なのですから。
 私達はみ言が無ければ以前の状態に戻ってしまいます。
サタンの子女に戻ってしまいます。
過去の生き方をせず、神様の子女として相応しく生きようではありませんか。

no:34

2018.1.7

神様の内情を察する
天聖経(罪と蕩減復帰より)

 神様の前に立っていたアダムとエバ自身が神様の内情を察することができるたなら、堕落しようにもできなかったはずです。父母は父母として子供に対して愛の心をもっていますが、子供は父母の深い心情まで知らなかったのです。もちろん幼くて堕落したのでしょうが、その年齢の幼さが堕落の動機になったのではなく、心情が足らずに堕落したのではないでしょうか。「あの方は私に対している。あの方は私と離れようにも離れられない」と、神様が一切の問題に関係しているということを、もしアダムとエバが感じることができたなら、彼は堕落することができなかったのではないでしょうか。結局心情の一致点をもてなかったので堕落したのです。天の願いと自分たちの願いが食い違い、自分の考える方向が天の考えることと食い違っていたから、堕落したのではないでしょうか。

 メシヤを通して私達は神様の子女となりました。
では私達は神様の子女としてどう生きれば良いのでしょうか?
アダムエバは堕落前、神様の前に立っていました。
しかし神様の内情を察することが出来ず堕落したのです。
 私達はサタン(蝮)の子女でした。
それ故神様の前に立っていることが分かりませんでした。
今は神様の前に立っています。
アダムエバの失敗を繰り返してはいけないのです。
神様は愛の心を持っておられます。
しかし私達はその事が分かっていませんでした。
そのため私達は神様の深い心情を知る努力が必要です。
神様は私と離れようにも離れられないのです。
神様は私の一切の問題に関係しているのです。
その事が分からすアダムとエバは堕落しました。
 堕落していた私達は神様の願いと自分の願いが食い違っていました。
神様の考えることと私達の考える方向が違っていました。

今や私達は神様の子女になりました。
では自分の願いが神様の願いと一致しているでしょうか?

達の考えと神様の考えが同じでしょうか?
メシヤに倣い神様のように考えようではありませんか。
神様の願いに応えようではありませんか。
一歩一歩神様に近づいて行こうではありませんか。
神様の子女として神様の内情を察する者になろうではありませんか。