礼拝で紹介したみ言葉を投稿しています。
2017.12.3
男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。自分という存在を主張するところには、神様が共にいらっしゃるはずがなく、他人を尊重する時に、神様が共にいらっしゃいます。原則的で原理的な思考によって、私たちは二本の足で歩いてるのです。
2017.11.5
宗教は受難の道を行かなければなりません。体と闘わなければなりません。一番の怨讐とは何かといえば、悪魔の血が激動する色です。淫乱から解放しなければなりません。その次に愛から解放しなければなりません。サタンの血でつづられた血統から逃れるためには淫乱から解放しなければなりません。そうして、生命に接ぎ木しようとするには神様と関係を結ばなければなりません。そうしてこそ愛が始まります。愛の伝統的中心は神様です。生命の祖先も神様です。
人間始祖が堕落し、人間は神様と霊界が分からなくなりました。
そのため、神様は人間に宗教を通して神様と霊界を教えようとされました。
同時に心が体よりも大切であることを教えようとされました。
しかし、人間は堕落しているので体の欲望のままに生きています。
衣食住と性の欲望のままに生きているのです。
人の為に生きようとする良心の欲望に従っている人が少ないのです。
体の欲望のままに生きている人があまりにも多いのです。
特に性の欲望は淫乱の罪を犯します。
アダムエバの堕落以後、人間は淫乱の罪を犯し続けて来ました。
現在も進行中であり、人間の力では解決が出来ません。
まず宗教によって心を強くし、体をおさめなければなりません。
なぜならこの体に悪魔の血が流れているからです。
血が騒ぐからです。
サタンの血統だからです。
この体をおさめなければならないのです。
淫乱から解放しなければならないのです。
サタンの愛、自己中心の愛から解放しなければなりません。
生命に接ぎ木しようとするには神様と関係を結ばなければないのです。
心を神様と繋ぐ努力を通して体と闘わなければなりません。
そしておさめなければならないのです。
私達の心が神様の心と繋がらなければ体に勝つことは出来ません。
これまで神様と切れていた私達です。
どんなことがあっても神様と関係を結ばなければならないのです。
どんなことがあってもです。
メシヤは罪の無い方ですが、神様と関係を結ばれた方です。
私達に神様と関係を結ぶことの重要さを教えて下さいました。
私達にはメシヤに従うしか道はないのです。
自分だけでは解決出来ないのですから。
それ故メシヤの語られたみ言に従うしかないのでありませんか。
メシヤのみ言に従い神様と関係を結びましょう。
そして体をおさめることの出来るものとなりましょう。
2017.10.15
神様の愛の圏に進んでいくためには、どれほど強い愛でなければならないのでしょうか。今日、人間世界の間違った愛は、天使長級以下の愛です。堕落したこの世の愛は、サタンが侵入した愛です。このような愛の圏で生まれて生きながら、愛故に死ぬか生きるかと大変です。この愛は、秩序もなく方向もない渦巻です。渦巻きには汚いものだけが集まります。しかし人間が神様の愛と関係を結べば、その愛の方向を教えてあげなくても自然についていきます。
人間始祖が堕落し、人間は神様と霊界が分からなくなりました。
そのため、神様は人間に宗教を通して神様と霊界を教えようとされました。
同時に心が体よりも大切であることを教えようとされました。
しかし、人間は堕落しているので体の欲望のままに生きています。
衣食住と性の欲望のままに生きているのです。
人の為に生きようとする良心の欲望に従っている人が少ないのです。
体の欲望のままに生きている人があまりにも多いのです。
特に性の欲望は淫乱の罪を犯します。
アダムエバの堕落以後、人間は淫乱の罪を犯し続けて来ました。
現在も進行中であり、人間の力では解決が出来ません。
まず宗教によって心を強くし、体をおさめなければなりません。
なぜならこの体に悪魔の血が流れているからです。
血が騒ぐからです。
サタンの血統だからです。
この体をおさめなければならないのです。
淫乱から解放しなければならないのです。
サタンの愛、自己中心の愛から解放しなければなりません。
生命に接ぎ木しようとするには神様と関係を結ばなければないのです。
心を神様と繋ぐ努力を通して体と闘わなければなりません。
そしておさめなければならないのです。
私達の心が神様の心と繋がらなければ体に勝つことは出来ません。
これまで神様と切れていた私達です。
どんなことがあっても神様と関係を結ばなければならないのです。
どんなことがあってもです。
メシヤは罪の無い方ですが、神様と関係を結ばれた方です。
私達に神様と関係を結ぶことの重要さを教えて下さいました。
私達にはメシヤに従うしか道はないのです。
自分だけでは解決出来ないのですから。
それ故メシヤの語られたみ言に従うしかないのでありませんか。
メシヤのみ言に従い神様と関係を結びましょう。
そして体をおさめることの出来るものとなりましょう。
2017.10.1
神様が宇宙を創造される時、絶対信仰の上でされました。神様が語ったことは絶対に成るというのです。できないことがないというのです。また創造は、愛の対象をつくるためです。絶対愛です。疑心がありません。二つの心はないというのです。その次には、絶対服従です!絶対服従とは、神様御自身までも存在意識がないというのです。
神様はアダムとエバに三大祝福を与えられました。
そしてアダムとエバに地上天国の実現を願われました。
しかしアダムとエバが堕落したためにこの世界は地上地獄となってしまいました。
神様は私達の父であり、絶対者です。
それ故神様のみ旨は絶対的です。
たとえ人間が堕落しても親として責任を持っておられます。
それ故に今に至るまで摂理しておられます。
表現を変えれば愛を投入し続けておられます。
最後は必ずみ旨は成就し、人間は完成します。
何故なら神様が語ったことは絶対になるからです。
神様に出来ないことはないからです。
神様は私達人間が完成することを絶対的に信じておられます。
必ず完成すると絶対信仰しておられます。
二千年前イエス様を送られたのも私達人間がイエス様を信じて救われるためでした。
そして真のお父様を送られたのも同じ目的です。
イエス様も真のお父様も私達人間が完成すると絶対信仰しておられます。
私達には信仰する心と不信仰の心の二つがあります。
しかし神様には一つの心しかありません。
キリストにも一つの心しかありません。
疑う心がありません。
そしてどんなことがあろうと絶対的に愛し続けられています。
今も私達を愛の対象とするために愛を投入し続けておられるのです。
その上、ご自分がないので絶対服従されています。
私達も絶対信仰、絶対愛、絶対服従で神様に似る神様の子女になろうではありませんか?
二つの心ではなく一つの心だけになるように。
キリストが模範を示して下さったように。
2017.9.3
堕落後、アダムとエバから連結した人類の血統は、サタン側に属します。自然界のすべてのものも同じです。そこで、反対に祝福を受けることによって、すべてのものが逆に帰るのです。財産、息子、娘、夫婦が神側に属するようになるのです。そのようになることによって、全宇宙が神様に連結します。そこから、神様が思いどおりにできるようになるのです。そのように帰らないものは、サタン側に残ります。すべてのものが神側に帰らなければならないのです。財産、息子、娘、家庭、先祖まで本然の位置に帰るべきだというのです。
アダムエバの堕落によって人類はサタンの血統になりました。
人類全てがサタンに連結してしまったのです。
サタンの子女となり、サタンに属してしまったのです。
自分の力ではサタンとの縁を切ることが出来ません。
キリストによる祝福を受けることにより、神様に連結します。
これ以外に神様に帰る道はありません
祝福を通して財産、息子、娘、夫婦が神様に属するようになります。
そして全宇宙が神様に連結するのです。
そこから、神様が思いどおりにできるようになるのです。
帰らないものはサタン側に残るのです。
祝福を通してすべてのものが神側に帰らなければならないのです。
サタンの血統から神の血統に転換されなければならないのです。
キリスト以外に祝福を下さるお方はおられません。
サタンと連結している人間は祝福を通して神様に連結しなければなりません。
キリストとの出会いは最高の出会いです。
更にキリストから受ける祝福は最高の恩恵です。
私達はキリストと出会うだけでなく祝福を受けなければなりません。
祝福を受け、神様の血統に連結されなければなりません。
そして神様の子女として相応しい生き方をしようではありませんか。
キリストに倣って神様のように隣人を許し、愛そうではありませんか。
神様の愛を実践し、この世界を神様の愛に満ちた世界にしようではありませんか。
この世界は未だに天国になっていません。
神様は人類がこの地上に天国を建設し、幸福になることを願っておられます。
まず私達から神様に似る努力をしようではありませんか。
祝福を通して神様に連結されたのですから。
どんな時に神様は共におられるのでしょうか?
自分という存在を主張するところにはおられないのです。
他人を尊重する時におられるのです。
人間はお互いの為に生きるように神様によって創造されました。
それはまず神様が人間の為に生きておられるからです。
為に生きようとされる心を持っておられるからです。
人間には神様と同じように為に生きようとする心があります。
私達が相手の為に生きようとすれば神様が共におられます。
しかし、人間始祖が堕落した為に自己中心の心もあります。
私達が自己中心の心の時は神様は共におられません。
神様の心とは相容れないからです。
全く正反対だからです。
自己中心の心を持った人間とは共にいたいとは思われません。
私達は神様の子女です。
神様に似た神様の子女です。
神様のように相手の為に生きようではありませんか。
自己中心である限り神様は共におられません。
為に生きる生活をすることで神様と共にある人生を送ろうではありませんか。
神様の子女として相応しく。