no.22

天聖経(真の家庭と「家庭盟誓」より)

2017.05.21
  • 天聖経
  • 真の家庭と「家庭盟誓」

真の愛の主体者であられる神様は、真の愛の相対者として人間を立てました。神様の愛の理想は、人間を通じてのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は、神様の最高最善の愛の対象として造られました。それゆえに、人間は、創造物の中で唯一、神様の実体をもった対象です。無形の神様の前に見える体で生まれました。人間は、完成すれば神様の聖殿になります。神様が自由に、また平安に、いつでも入って滞在できる有形の実体です。神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通じて、父母と子女の縦的関係によって実現し完成します。

教会長のコメント

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the head of the church

神様の聖殿になる

 私達人間は完成すれば神様の聖殿になります。 そのように神様は人間を造られました。 神様の最高最善の愛の対象として造られました。 そして神人愛一体の絶対的愛の理想世界が実現するはずでした。  しかしアダムとエバの堕落によって人間はサタンの住みかになりました。 この世界は理想世界ではなく地上地獄になりました。 今も毎日のように不倫と殺人が繰り返されています。 堕落し神様と似ても似つかない姿になりました。 神様が人間の親であることも分からなくなりました。  2000年前イエス様が来られて神様が父であることを教えて下さいました。 そして私達が神の宮であることを教えて下さいました。 しかし人間は神様の聖殿になることが出来ませんでした。 それはイエス様が使命半ばで十字架にかかったためでした。  イエス様が果たせなかった使命を果たすために真のお父様が来られました。 私達が神様の聖殿になるために祝福を下さいました。 原理のみ言、そして多くのみ言を下さいました。 それでは私達は神様の聖殿になっているでしょうか? なっていればイエス様のように、真のお父様のようになっているはずです。  私達は絶えず如何にすれば神様の聖殿になれるかを考えるべきではないでしょうか? そして神様の聖殿になれるように生活すべきではないでしょうか? どうしたら私の心に神様をお迎え出来るだろうか? どうしたら私の心に神様に住んでいただけるだろうか? 神様は私達の心に住みたいと願っておられます。  しかし私達は神様をお迎えしよう、住んでいただこうと願っているでしょうか? 神様を忘れていないでしょうか? 神様は私達を忘れることがないのにです。 私達は改めて自分が神様の子供であることを自覚しようではありませんか。 神様の聖殿になる努力を継続しようではありませんか。 み言を信じ実践しようではありませんか。 それが神様と真のお父様の願いなのですから。

no.21

天聖経(真の家庭と「家庭盟誓」より)

2017.05.07
  • 天聖経
  • 真の家庭と「家庭盟誓」

歴史的な闘いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。まず、神様を中心として個人の心と体が一つにならなければなりません。そして、そのような真なる男性と真なる女性が、神様を中心として真の家庭を築くことによって、その中に再び神様を迎えるようになるのです。したがって、真の愛を中心とした真の家庭こそ、神様が宿る地上基地となるのであり、さらには真の国家と真の平和世界の出発地になるのです。そして、これによって、真の自由と幸福の世界が開かれるのです。

教会長のコメント

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the head of the church

神様に帰る(2)

  歴史的な闘いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。 こう真のお父様は言われています。 ところで歴史的な闘いとは何でしょうか? それは個人の心と体が闘っていることです。 ではいつ歴史的な闘いが始まったのでしょうか? 人間始祖が堕落した時から始まりました。 私達は神様を中心として心と体を一つにしなければなりません。 しかし今もなお人間の心と体は闘い続けています。 私達の心と体は闘い続けているのです。 それは私達と神様との親子関係が切れていたからです。  ところで歴史上心と体が一つになった人はいたでしょうか? まずイエス様がおられました。 そして真のお父様がおられます。 神様を中心として心と体が一つになっておられます。  私達は神様に帰らなければなりません。 神様抜きで心と体は一つになれないのです。 私達はこれまで神様との親子関係が切れていました。 しかし今は真のお父様を通して神様と親子になりました。 心と体が一つになる道が開かれたのです。  自己中心であった私達が神様中心になればいいのです。 神様を中心にして生きる。生き続ける。 ここから始めていきましょう。 私達は自己中心で生き続けて来ました。 これからは神様中心に生きる習慣をつけようではありませんか。 そして神様に帰り、神様中心に生きる人生を送ろうではありませんか。 イエス様のように。真のお父様のように。  これまでのように心と体が闘う自分でいいのでしょうか? 今こそ心と体を一つにしようではありませんか。 これまでの自分に別れを告げようではありませんか。

no.20

天聖経(真の家庭と「家庭盟誓」より)

2017.04.16
  • 天聖経
  • 真の家庭と「家庭盟誓」

今まで、神様が共に暮らすことができる家庭がなく、国がなく、世界がなかったということは繰り返して言うまでもありません。皆さんは、常にこのような概念をもたなければなりません。私自身においても、神様が共に生きることができず、世界においても生きることができなかったのです。そのような神様を再びお迎えし、堕落した世界のいかなる孝子、いかなる忠臣、いかなる聖人、いかなる聖子よりも、高い位置において神様に侍って生活しなければならないという、そのような信仰のモットーを強化しなければなりません。

教会長のコメント

Comment from
the head of the church

神様が共に生きる

 人間始祖の堕落によって何が起きたのでしょうか? 神様が人間と共に生きることが出来なくなりました。 しかし二千年前、神様は再び人間と共に生きることが出来ました。 そのお方がイエス様です。33年間神様が共に生きられました。 しかしイエス様の十字架によって神様は再び孤独になられました。 神様が共に生きる人間がいなくなりました。  神様は二千年間待たれ真のお父様と共に生きることが出来ました。 真のお父様は神様が共に生きることの出来る心を持たれました。 イエス様も神様が共に生きることの出来る心を持たれました。  私達はどうでしょうか?  神様が共に生きることの出来る心を持っているでしょうか? 私達はこれまで蝮(サタン)の血統でした。 それ故に神様が共に生きる心ではありませんでした。  今はどうでしょうか? 神様が共に生きることの出来る人間になっているでしょうか? そのような心を持っているでしょうか? 私達は神様の血統、神様の子女になりました。 しかし神様の血統になれば神様が共に生きることが出来るのでしょうか? 自分の姿、自分の心を見て神様が共に生きているといえるでしょうか? 神様があなたと共に生きたいといえる姿になっているでしょうか? 自己中心のままでどうして神様が共に生きることが出来るでしょうか? それではサタンの血統と変わらないではありませんか。 このままでは神様が共に生きることが出来ません。  それでは私達は一体どうすべきでしょうか? 神様があなたと共に生きたいといえる姿になるべきではないでしょうか? そのような心、そのような姿になる努力が必要ではないでしょうか? イエス様と真のお父様は敵を愛されました。  私達はどうでしょうか? 敵を愛し、敵の為に祈っているでしょうか? まず隣人を愛し、隣人の為に祈る所から始めようではありませんか。 神様の子女として神様が共に生きることの出来る姿になる為に。 まずみ言を訓読し、み言を実践しようではありませんか。 神様が共に生きる人間になる為に。 それが神様の願いなのだから。