no.10

天聖経(罪と蕩減復帰より)

2016.12.04
  • 地上生活と霊界より
  • 天聖経

エバは二つの世界の母体になりました。 善と悪の中間の立場になったというのです。 それでは善悪の方向を誰が決定しなければならないのでしょうか。 自分自身が決めなければなりません。 サタンを打つことよりも数倍も強く神様にしがみつかなければなりません。 悪を打つためには渾身の力を傾けなければなりません。 それと同時にそれ以上の力で神様にしがみつかなければならないというのです。

教会長のコメント

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the head of the church

神様にしがみつく

 人間始祖の堕落によって私達は神様とサタンの中間の立場になりました。 それゆえに自分自身が善悪の方向を決めなければならないのです。  悪を打つためには渾身の力を傾けなければならないのです。 そしてそれ以上の力で神様にしがみつかなければならないのです。  これは真のお父様のみ言です。 ご自身が実践されて私達に語られたのです。 即ち真のお父様は神様にしがみついてこの悪の世界でサタンに勝利して来られたのです。 では私達はどんな生き方をしているでしょうか?  神様にしがみついて悪に立ち向かっているでしょうか? それともサタンにしがみつかれたまま身動きがとれない状態でしょうか? もし毎日時に流されているのであればサタンと縁が切れていません。  堕落によって私達はサタンと親子の縁を結んだのです。 それゆえにサタンと縁を切り、神様と縁を結ばなければなりません。  私達は真のお父様によって祝福を受け、神様と親子の縁を持ちましたが、 どこまで縁が結べたでしょうか?  地位、名誉、財産にしがみついている人も神様にしがみついているとは言えません。 サタンにしがみついている人ではないでしょうか? 私達に絶対に必要なのは神様です。  自分自身の姿をもう一度振り返ってみましょう。 一番大切な神様にしがみついてこの悪の世の中で生きて行こうとしているのでしょうか? それとも悪の世界に染まって堕落しているのでしょうか?  このままではいけないと思いませんか? 神様の子供として悪に立ち向かおうと思いませんか? そして神様にしがみついて生きて行こうではありませんか。 悪の世界で勝利するためです。

no.9

天聖経(真の神様より)

2016.11.20
  • 天聖経
  • 真の神様より

 哲学の最後の終着点は、神様を発見することです。 その神様はどんな神様でしょうか。絶対的な神、不変の神、唯一の神です。 神様を発見することにおいて、その神様は私たち人間に必要な人格的神でなければなりません。 私たち人間と関係を結ぶためには、私たち人間が考えるすべての内外を備え、意志を備え、理想を備えた人格的神でなければならないというのです。 すべての面で通じることができる、情緒面やみ旨的な面や、 または知識的面で私たち人間と通じることができる、 完全に関係を結ぶことができる神様でなければ、 どんなに神様がいると言っても私たちとは完全にかかわることができないのです。

教会長のコメント

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the head of the church

神様と通じる

 哲学は神様を発見することが出来ませんでした。 しかし真のお父様は神様を発見されました。 その神様は全ての面で私達人間と通じることが出来る、完全に関係を結ぶことが出来る人格的神様です。  真のお父様は神様がおられることを私達に教えて下さいました。 それだけではありません。 神様と全ての面で通じられ、完全に関係を結ばれ、完全に関わることが出来たのです。  そして如何にしたら、父なる神様、人格的な神様と通じることが出来るかをみ言を通して教えて下さいました。 その生き様を通して見せて下さいました。 私達は神様と通じることの出来る子供の立場を与えられました。 では、私達は果たしてイエス様や真のお父様のように神様と通じるようになったでしょうか?  話は変わりますが、親子が通じ合うこと、夫婦が通じ合うこと、兄弟が通じ合うことも、現実的にはとても難しいとは思いませんか?  何故この様になったのでしょうか? それは人間始祖が堕落したからです。 そのため人間は神様と通じることが出来なくなりました。 人間どうしも通じ合えなくなりました。 真のお父様を通して神様と通じることの出来る道が私達に与えられました。 この事は私達にとって最高で最大の恵みです。 しかしまだまだ私達は神様と通じていないのではないでしょうか?  せっかく与えられた神様との通じ合える関係です。  神様との関係が一番大切ではありませんか? キリストが神様を一番大切にされたのですから。 神様と通じる努力をせずに毎日流されていませんか? 目に見えることばかりに心を奪われていませんか? 私達は神様に似ているのです。 神様と通じることが出来るのです。 常に神様を意識し続けましょう。 求め続けて行きましょう。 通じ合えるところまで。 キリストのように。

no.8

天聖経(地上生活と霊界より)

2016.10.16
  • 地上生活と霊界より
  • 天聖経

知識が多くても、権勢があっても、お金をもったとしても、そのようなものはみな流れていくのです。 もって行くべきものは、神様の愛を世界に拡大するために努力したことです。 人類を愛し、神様を愛したことが最後に残って、あの世の所有権決定の基準になります。

教会長のコメント

Comment from
the head of the church

神様を愛する

  私達は真のお父様のみ言を通して父なる神様が私達を愛しておられることを知りました。 更に真のお父様の姿を通して神様がいかに私達を愛され、且つ愛され続けて下さっているかも知りました。  堕落していた私達は神様から愛されてはきましたが、ただ一方的に愛されただけでした。 今私達は神様を愛しているでしょうか?  ところで私達は地上で生きていますが、地上生活で一番すべきことは何でしょうか? 真のお父様は「知識が多くても、権勢があっても、お金を持ったとしても、 そのようなものはみな流れて行くのです。」と言われています。 知識でも権勢でもお金でもないのです。 それらのものは霊界に持って行くことが出来ないのです。  ゆえにそれは人類を愛することであり、神様を愛することなのです。 父なる神様が一番願われることは何でしょうか?  私達の兄弟である人を愛することではないでしょうか? では愛するとは一体どういうことでしょうか?  関心を持つこと。 思いやりの心で接すること。 温かい心で接すること。 相手の心を大切にすること。 人を生かす言葉を使うこと。 そのような生き方を私達はしているでしょうか?  もし逆に無関心で、 思いやりもなく、 冷たい心で、 相手の心を無視し、 人を殺す言葉を使っているとすればそれはもはや神様を愛しているとは言えないのではないでしょうか?  そしてそれはサタン(蝮)の子であった時となんら変わりがないではありませんか? 私達はいつも神様から愛されているのですから、 真のお父様やイエス様のように兄弟を愛すべきではないでしょうか?  兄弟を愛せない者が神様の子供と言えるでしょうか? 兄弟を愛することが出来てこそ神様の子供ではありませんか?  兄弟を愛することが出来なければ地上に天国が出来るでしょうか?  地上生活で人を愛することが出来てこそ神様の懐である天国に行くことが出来るのです。 神様も真のお父様も全ての人を分け隔てなく愛しておられます。  私達も全ての人を分け隔てなく愛せる者になろうではありませんか? 兄弟を愛することは神様を愛することなのですから。