礼拝で紹介したみ言葉を投稿しています。
2018.8.26
人間の力、人間の知恵、人間の文化、このどれをもってしても真の意味の平和の世界や、一つに統一された世界を願うことができない視点にあるということを私たちは知っています。このような立場で世界文化を解決する上で一番中心となる問題は何でしょうか。神がいるのか、いないのかという問題を、確実に解明することが何よりも重要な問題だと見るのです。もし神様が」いるということを全人類が知った日には、神様のみ旨がどのようなものを指向するのかを確実に知るようになるでしょうし、その指向するみ旨を知るときには、その世界はそれこそ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界でないはずがありません。
2018.8.12
皆さんの心の中に、皆さんの生活の中に神様の愛があふれて、ぽたぽたと滴るようでなければなりません。愛がぽたぽたと滴れば、希望がありますが、愛が乾いているとするならば、皆さんとその家庭は滅びるしかないということを知らなければなりません。愛の乾いた人は、愛の国の国籍から除名すれるという事実を知らなければなりません。愛の伝統の世界から除外されるしかない運命になる、ということをはっきりと知らなければなりません。 2018.8.12
アダムとエバが完成していればその心の中に神様の愛があふれていたはずです。
何故ならイエス様も真のお父様もその心の中に神様の愛があふれているからです。
神様の愛があふれておられるので出会った私達も神様の愛を感じたのです。
それ故キリストと神様から離れられなくなりました。
人は愛によって生きるからではないでしょうか。
キリストの心は神様の愛があふれています。
そしてキリストの生活も神様の愛があふれています。
神様の愛があふれて、ぽたぽたと滴っています。
それ故キリストには希望があります。
私達はどうでしょうか?
私達の心の中に神様の愛があふれているでしょうか?
私達の生活の中に神様の愛があふれているでしょうか?
達の姿に希望があるでしょうか?
愛が乾いていれば希望がないのです。
私達とその家庭は滅びるしかないのです。
愛の乾いた人は、愛の国の国籍から除名されるのです。
私達は何を目標とすべきでしょうか?
如何に私達の心の中に神様の愛があふれるようにするか。
更には如何に神様の愛がぽたぽたと滴るようにするか。
それしかないのではないでしょうか?
イエス様も真のお父様も心の中に神様の愛があふれ、ぽたぽたと滴るような神様のような姿となられました。
私達の目標はキリストではないでしょうか。
キリストのような姿になれるように生きようではありませんか。
愛が乾いていることを自覚して再出発しようではありませんか。
キリストに似、神様に似るために。
2018.6.17
女性が美人として生まれたら、間違いなく外的について行くのです。醜い女性は、外的に行くのではなく、内的に行くようになっているのです。外的に行けば行くほど、サタン世界に染まったサタンのぼろぎれになりますが、内的に行くようになれば、神側に近づきます。内的に行くすべを知る人は、外的な側にも思いどおりに行くことができますが、外的な側に行った人たちは、内的な側に絶対にも思いどおりに行くことができますが、外的な側に行った人たちは、内的な側に絶対に来ることができないのです。
どうすれば神様に近づくことが出来るのでしょうか?
人間始祖の堕落によって私達は神様との関係が切れてしまいました。
その上神様の実在が分からなくなりました。
肉眼では見えない霊界の実在も分からなくなりました。
イエス様は神様が実在され私達の父であることを教えて下さいました。
真のお父様は神様の実在だけではなく、霊界の実在も教えて下さいました。
堕落人間である私達は悲しいことに肉眼で見える世界が全てだと思っています。
そのために外見、外形ばかりを気にしています。
地位、名誉、財産に心を奪われています。
外的にばかり行きサタン世界にどんどん染まっています。
サタンの罠にはまっています。
真のお父様は内的に行くことを勧めておられます。
そして生涯を通して内的に生きられました。
それは心が主体であり、体が対象だからです。
体の欲望ではなく、心の欲望に従って生きるのが本来の人間の生き方だからです。
私達は良心の声に従って生きようではありませんか。
サタンの誘惑に打ち勝ち内的に行こうではありませんか。
内的に生きることによって神様を知り、神様に近づこうではありませんか。
キリストの生き方に倣おうではありませんか。
私達は神様の子女なのですから。
2018.6.3
みなさんは天国に行こうと考えてはいけません。地の上に天国を建設するという考えをもたなければなりません。天国人になろうとすれば、父の心は自分の心、私の心は父の心だと自信をもって主張することができるくらいに父と心情一体を成さなければなりません。そして地の上で父の心を代身して、主と先祖たちの心を代身しなければなりません。そうしてこそ歴史的なすべての問題を解決できるのです。
アダムエバの堕落によってこの世界は地獄になりました。
アダムが責任を果たすことが出来なかったからです。
そのため後のアダムとしてイエス様が来られました。
そして悔い改めよ、天国は近づいたと訴えられました。
イエス様は地上天国をつくるために来られました。
神様と心情一体を成されました。
しかし責任を果たせず、十字架にかかられたのです。
それ故再臨を約束されました。
そして真のお父様が第三のアダムとして来られたのです。
当然地上天国をつくるために来られました。
真のお父様も神様と心情一体を成されました。
私達に神様と心情一体を成すように語られました。
そこから天国が出発するからです。
まず私達は如何に神様と心情一体を成すかを考えなければいけません。
そして心情一体を成すために行動するのです。
一番重要なことは神様と心情一体を成すことではないでしょうか。
にもかかわらず他のことに意識を奪われてはいないでしょうか?
神様と如何に心情一体を成すかを意識しながら生活しようではありませんか。
地上天国建設のために。
神様の子女として相応しい姿になるために。
2018.5.20
それゆえ、信仰する人の態度は、全部自分と共に関係していると考えなければなりません。なぜそうすべきなのでしょうか。堕落ですべての関係を失ってしまったのです。自然に対する関係、本然の人間に対する関係、神様に対する関係を、全部切断してしまったのです。切断した関係の世界を、私たちが再び接続させるためには、いつも自分自体が接続させることのできる作用をしなければなりません。そのような作用をしてこそ関係が開拓されるのであって、接続しようとする態度をもたなければ、開拓されないのです。
人間始祖の堕落によって全ての関係が切れてしまいました。
神様と人間との親子関係が切れました。
親子、夫婦、兄弟姉妹の関係も切れてしまいました。
人間と万物との関係も切れてしまいました。
それ故世界には様々な問題があります。
家族間の殺人事件が毎日のように起こっています。
幼い子供を実の親が平気で殺しています。
大人が子供を殺す事件もあります。
これらは全て親子の情関係が切れた証拠ではないでしょうか。
親の心と子供の心が繋がっていません。
堕落によって切れた神様の心と人間の心。
親の心と子供の心。
夫の心と妻の心。
兄の心と弟の心。
姉の心と妹の心。
切れた情と情の関係を誰が繋いで来られたのでしょうか?
神様と人間の仲保となられたキリストが繋いで来られました。
何故ならキリストは神様と一つになっておられるからです。
イエス様も真のお父様も神様との関係を接続することを教えて下さいました。
そして人間と人間との関係を接続することも教えて下さいました。
私達も隣人との関係を接続する意識が必要ではないでしょうか。
接続する行動、生活が必要ではないでしょうか。
切れた心と心の関係は接続するしか道はありません。
誰かがやってはくれません。
私達はキリストに倣い接続する意識、心を持ち続けて行こうではありませんか。
そして切れた関係を元の状態に戻そうではありませんか。
本来の繋がった人間関係を築くために。
幸福な世界を築くために。
私達人間には限界があります。
そのため世界に真の平和、幸福が訪れないのです。
何故なら人間始祖が堕落したため人間はサタンの子女となったからです。
言い方を変えれば完成出来ず未完成のままだからです。
神様はアダムエバを通して創造理想を実現しようとされました。
アダムエバが責任を果たし完成していれば地上天国が出来たはずでした。
人間始祖が堕落したため、神様との親子関係が切れたのです。
更には神様がおられることも分からなくなりました。
キリストは神様がおられることを教えて下さいました。
そして神様との親子関係を繋いで下さいました。
イエス様は十字架にかかり私達に道を開いて下さいました。
真のお父様は祝福を通して私達を神様の子女にして下さいました。
私達はまず神様がおられることを知るべきではないでしょうか。
そして祝福を通して神様の子女になろうではありませんか。
全人類が神様の実の子女となれば、みな兄弟姉妹になります。
そうなればそこから天国が実現するのではないでしょうか?
私達はまず神様がおられることを認めようではありませんか。
親である神様の願い、思いをキリストを通して知ろうではありませんか。
そして神様の子女として共に生きて行こうではありませんか。
この世界が平和で幸福の世界になることを願いながら。
神様が私達の親としておられるのですから。